Tea Serverよ永遠に

約6年もの間、鯖家で紅茶をいれるために日夜働き続けて来たTea Serverが、ついにおなくなりになりました。1月14日の夜、私が帰宅し電気の消えた台所のテーブルの横をすり抜けようとすると、彼が私のコートに引っかかり、テーブルから墜落しました。あっという間の出来事でした。まあ6年ですから間違いなく天寿を全うしたといえましょう。前日に鯖が彼をテーブルの角に置いたのも、台所が暗かったのも、鯖が疲れてぼーっとしてたのも、ちょっとコートが大きめだったのも全て偶然で不可避の出来事でした。君の6年間の功績をたたえて「茶鯖1号」の称号を差し上げよう。幸い、君と同型のサーバーを吉祥寺で発見購入したのであとの事は心配ないぞ。迷わず成仏してくれ。

ところで突然ですが

ガラスや陶器製の食器には「寿命」があると思いますか?例えば、ちょっと手が滑ってコップが手をすり抜けて落下したとき・・・あなたはどっちですか?

A:「しまった、割っちゃったよ」
B:「あ~あ、割れちゃったよ」

A:
コップを割ったのは私である。下が硬かろうが、ガラスが弱かろうが私が手を滑らさなければよかったのである。そのようなことは私が日常注意深くしていれば容易に避けられるはずである。ああ何て罪深い私。
B:
コップが割れたのは、そのコップの寿命が尽きたからである。私の手元が狂ったのも、下が硬い床だったのも自然現象の一つに過ぎない。だから私は悪くない。というか誰も悪くない。

私はもうどこまでもBであり、親からもそのように厳しく躾けられてきました。茶碗が割れたとき、それが寿命でないと思ったことなどただの一度もありません。ところが、しづしづは違いました。はじめから最後までAだったのです。鯖の生家では割った茶碗は(余程思い入れの深い物でない限り)きちんと後始末をすれば叱られることはまずありませんでした。しづの家では、茶碗を割った場合「不注意」をまず叱られたといいます。私にとってこれは驚きでした。今まで別の経験・人生を持つ二人の人間が共同生活を始めるという結婚に際して最大のカルチャーショックと言っても過言ではありませんでした。興味を持って色んな人に聞いてみると確かに人間は厳然とこの2種類の人種に分類できるようです。面白いですね。うちに子供ができたらどちらの教育理念が優先されるか興味深いところです。